いのうただたか の ちずつくり

4.忠敬の測量

 当時、大名がおさめる地方の国々に入って測量をするには、幕府の命令書を持っていかなければ、協力してもらえません。ですから、各地の測量をするには幕府の許可(きょか)が必要でした。しかし、「子午線の1度の長さをはかる」ことを目的としたのでは、お役人の理解も得られず許可されません。
 そのころ幕府は、外国から国を守るため、正確な地図がほしいと考えていましたから、至時先生と忠敬らは蝦夷地(えぞち:現在の北海道)の地図をつくることを願い出て、測量しながら蝦夷地へ向かいます。  

 このように、ほんとうの測量の目的は、子午線の長さを求めることでした。しかし、測量を続け地図を作るうちに、しだいに日本の領土(りょうど)を正確にあらわす地図を作ることに変化していきます。
 その測量の初めは、忠敬自身のお金を使って行いました。しかし、一定の地図が作成されてからは、そのできばえのことから幕府の理解も得られ、幕府の資金と命令によって地方の大名に協力してもらいながら測量が行われるようになりました。  

 測量の方法については、あとでくわしく説明しますが、(どうせんほう)といわれる歩測や鉄鎖(てつさ:てつのくさりでできたものさし)、間縄(けんなわ:竹や麻などでできたものさし)で長さをはかり、磁針(じしん:じしゃく)や象限儀(しょうげんぎ)というきかいで角を測る方法によりました。
 もちろん、星の位置を測る天文測量も行って、江戸で観測した値などとの差から、南北の距離を求めました。
 至時先生との約束である、子午線1度の長さを求めました。
 28里2分(110.85km)です。これは、いまの値(110.98km)比べても1/1,000しか違わない正確なものでした。



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