いのうただたか の ちずつくり

1.こどものころの忠敬

 伊能忠敬は1745年に、いまの千葉県山武郡九十九里町に生まれました。
 そして、こどものころの名前を神保三治郎(じんぼう さんじろう)といいました。
 
 その忠敬が生まれた年は、あのあばれんぼう坊将軍でおなじみの八代将軍 吉宗公が、長男の家重に家督(かとく)をゆずって隠居(いんきょ)したころです。
 吉宗以前の将軍は、外国の本を手に入れ、読むことを禁止(きんし)していました。しかし、吉宗公は、外国のすぐれた本(洋書)の輸入を進めることで、日本を発展させようと考えていました。
 そのことで、このころの日本の天文学や数学、測量技術の進歩につながったといわれています。
 
 忠敬の少年時代は、不幸なこともありましたが、こうした本のおかげで学問に関心を持ちました。13歳になるころには常陸の国(いまの茨城県)の、ある寺に小僧としてあずけられて勉強したという話もあります。また、いまの茨城県土浦市のお医者さんのもとで、医学も学んだという話もありますが、くわしいことはよくわかっていません。
 いずれにしても、まわりの人々から漢学(かんがく:中国からつたえられた学問)、暦学(れきがく:こよみのことや天文のこと)や数学を学ぶ機会にめぐまれたようです。



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