いのうただたか の ちずつくり

3.天文学を学ぶ忠敬

 商売のことで成功をおさめた忠敬は、49歳(1795年)になると隠居(いんきょ)して家や商売などのことを長男の景敬(かげたか)にまかせます。
 そして天文学を学ぶため、江戸へ出ます。江戸では、日本で一番の天文学の先生である高橋至時(よしとき)先生の門に入りました。学問をすることは、忠敬の永年の夢であったようです。
 忠敬は、19歳も年下の至時先生のもとで西洋暦学や天文学を熱心に学びます。忠敬はいつも、天体や暦学のことばかり考えていたので、親子ほども年のちがう至時先生や友人からは、推歩(すいほ:天文などのこと)先生と呼ばれていました。

 その時の日本では地球の形や大きさについて、はっきりした値を知りませんでした。
 推歩(すいほ)先生は、いつの日か正確な測量をして、それを知りたいと考えていたようです。そこで、深川黒江町の住まいから、ほぼ北の方向にある浅草橋にあった勤め先の暦局(天文台)間の距離を歩測で測り、それぞれの地点で天文観測をするなどして、地球の大きさを知るために必要な子午線(しごせん:地球の赤道に直角に交差する南北方向の円:1度の長さを360倍すれば、地球のおおよその大きさがわかる)1度の長さを求めました。

 しかし、「地球の正確な形と大きさを知るには、もっと長い距離を測る必要がある」と至時先生から助言(じょげん)されます。こうして忠敬は、子午線の1度の長さを正確に求める測量の旅に出かけるのです(1800年)。  



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