ち ず そ く り ょ う い じ ん さ ん ぽ


−地図測量偉人を紹介します−

石黒信由(1760−1836)


高橋至時

 石黒信由(いしぐろのぶよし)は、いまの富山県新湊市(しんみなとし)の庄屋(しょうや)の家に、生まれました。早くに父をなくしましたが、おじいさんとおばあさんにそだてられました。

 23さいのときに富山へでて、数学や測量をまなび、検地(けんち)とよばれる土地の測量やあたらしい田をかいはつする仕事につきました。
 伊能忠敬が、越中(えっちゅう:いまの富山)に測量のためにやってきたときには(1803年)、いまの新湊であい、測量の方法や、測量のきかいについて、意見をこうかんしました。

 そのご、信由は、ほんかくてきに、地図をつくる仕事をしました。そして、加賀(かが)、越中(えっちゅう)、能登(のと)の、正確な地図をつくりました(加越能三州分略絵図)。
 この地図は、陸地の中もくわしく測量したもので 、忠敬の日本全図におとらないせいかくなものといわれています。そのほか、信由のつくった地図や測量は、新しい田のかいはつや、用水(ようすい:田やのみ水)の工事などとかんれんした、すぐに必要となるものでした。

 そのほかに、いろいろな工夫をした測量器械も開発し、金沢市街の測量をおこない、地図の修正をしました。子どもやまごも、信由のいいつけをまもって、測量をし、おおくの功績(こうせき)をのこしました。

 (高樹文庫)富山県新湊市高木246
 (新湊市博物館)新湊市鏡宮299


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