吉田東伍
吉田東伍(よしだとうご)は、いまの新潟県安田町(にいがたけん やすだまち)のうまれました。小学校をそつぎょうしたあと、新潟(にいがた)の英語学校で学び、小学校の先生になりました。
こどものころの東伍(とうご)は、どくしょやべんきょうがすきで、お父さんやお母さんからは、「人は、なによりもたべることや、きることがさきだよ」と、本を読むより、あせをかいて働きなさいといわれたようです。
それでも、歴史(れきし)や地理(ちり)がすきで、17さいのときには、安田町(やすだまち)の歴史を「安田志料(やすだしりょう)」という本として、書きはじめました。
そのご、先生をやめて新聞社につとめましたが、そこでも、歴史などのことを書いて、たくさん発表しました。
いちばんの功績(こうせき)は、文字の数1,200万という「大日本地名辞書(だいにほん ちめいじしょ)」を、13年かけてつくったことです。この地名辞典(ちめいじてん)が、できたときのパーテイのおきゃくさんは、つみあがった、げんこうのた多さにおどろいたといいます。
この地名辞典は、明治時代の日本の地名を研究する人、地名の始まりを研究する人などに、いまでもつかわれています。東伍は、このほかにも多くの本や研究ほうこくを発表していて、その数は、300さつをこえていますから、30年の間、月にひとつのわりあいで、発表したことになります。
(吉田東伍のいえと吉田東伍きねんはくぶつかん)新潟県阿賀野市保田1,725
(吉田東伍のおはか)新潟市新津秋葉山1-9-1 正法寺