ち ず そ く り ょ う い じ ん さ ん ぽ


−地図測量偉人を紹介します−

福士成豊(1838−1922)


福士成豊

 福士成豊(ふくしなりとよ)は、函館(はこだて)の、船大工(ふなだいく:ふねをつくる人)のこどもとしてうまれました。
 こどものころには、父のふねをつくる仕事を、てつだっていましたが、そのうちイギリス人のぼうえきがいしゃである、ポータ商会(しょうかい)につとめながら、英語をまなびました。
 さらにおなじイギリス人のブラキストンともしたしくなり、測量や機械、気象(そくりょうやきかい、きしょう)などをまなびました。

 とくに英語は、じぶんでじしょをつくるほどにじょうたつし、はじめのころは、北海道開拓使(ほっかいどうかいたくし:ほっかいどうのかいはつを、すすめるためのおやくしょ)というやくしょに、つうやくとしてつとめました。
 そのご、気象観測・測量・港湾工事(きしょうかんそく・そくりょう・こうわんこうじ:みなとをつくるしごと)などのことで、功績(こうせき)をあげました。

 なかでも、じたくをかいぞうしておこなった、気象観測は、日本でさいしょの気象観測所となりました。
 測量のことでは、めいじ7年に苫小牧市(とまこまいし)のちかくの勇払(ゆうふつ)というところで、日本ではじめてほんかくてきにおこなわれた、三角測量(さんかくそくりょう)のための、基線測量(きせんそくりょう:せいかくに、ながさをはかるそくりょう)をたんとうしました。

 とうじは、測量だけでありませんが、技術がすぐれていた外国人に、おしえをもらって測量をしていましたが、福士(ふくし)らは、このときのことをもとに、明治9年には日本人だけで、函館(はこだて)で基線測量(きせんそくりょう)をしました。

 そのほかにも、荒井郁之助(あらいいくのすけ)らと、経度(けいど:ちきゅうの東西のいちのこと)のそくていもおこなうなど、明治のはじめのころの、北海道開拓使の、測量のせきにんしゃとしてかつやくしました。

 (福士成豊のいえ)北海道札幌市厚別区厚別町50 北海道開拓の村
 (福士成豊のおはか)函館市舟見町18-4 称名寺
 (開拓使測量勇払基線:福士成豊の基線測量のあと)北海道苫小牧市勇払132 
 (開拓使測量函館助基線:福士成豊の基線測量のあと)北海道函館市田家町99 大称寺境内


はじめ、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 10
11、 12、 13、 14、 15、 16、 17、 18、 19
copyright (c) オフィス 地図豆 All right reserved.