福士成豊
福士成豊(ふくしなりとよ)は、函館(はこだて)の、船大工(ふなだいく:ふねをつくる人)のこどもとしてうまれました。
こどものころには、父のふねをつくる仕事を、てつだっていましたが、そのうちイギリス人のぼうえきがいしゃである、ポータ商会(しょうかい)につとめながら、英語をまなびました。
さらにおなじイギリス人のブラキストンともしたしくなり、測量や機械、気象(そくりょうやきかい、きしょう)などをまなびました。
とくに英語は、じぶんでじしょをつくるほどにじょうたつし、はじめのころは、北海道開拓使(ほっかいどうかいたくし:ほっかいどうのかいはつを、すすめるためのおやくしょ)というやくしょに、つうやくとしてつとめました。
そのご、気象観測・測量・港湾工事(きしょうかんそく・そくりょう・こうわんこうじ:みなとをつくるしごと)などのことで、功績(こうせき)をあげました。
なかでも、じたくをかいぞうしておこなった、気象観測は、日本でさいしょの気象観測所となりました。
測量のことでは、めいじ7年に苫小牧市(とまこまいし)のちかくの勇払(ゆうふつ)というところで、日本ではじめてほんかくてきにおこなわれた、三角測量(さんかくそくりょう)のための、基線測量(きせんそくりょう:せいかくに、ながさをはかるそくりょう)をたんとうしました。
とうじは、測量だけでありませんが、技術がすぐれていた外国人に、おしえをもらって測量をしていましたが、福士(ふくし)らは、このときのことをもとに、明治9年には日本人だけで、函館(はこだて)で基線測量(きせんそくりょう)をしました。
そのほかにも、荒井郁之助(あらいいくのすけ)らと、経度(けいど:ちきゅうの東西のいちのこと)のそくていもおこなうなど、明治のはじめのころの、北海道開拓使の、測量のせきにんしゃとしてかつやくしました。
(福士成豊のいえ)北海道札幌市厚別区厚別町50 北海道開拓の村
(福士成豊のおはか)函館市舟見町18-4 称名寺
(開拓使測量勇払基線:福士成豊の基線測量のあと)北海道苫小牧市勇払132
(開拓使測量函館助基線:福士成豊の基線測量のあと)北海道函館市田家町99 大称寺境内