三松正夫の測量する像
三松正夫(みまつまさお)は北海道の伊達町(だてまち)でうまれ、北海中学(ほっかいちゅうがく)をとちゅうでやめたのち、壮瞥郵便局(そうべつ ゆうびんきょく)につとめました。そのご郵便局長(ゆうびんきょくちょう)になりました。
このあいだに、近くにある有珠山(うすざん)が三回ふんかしましたが、これをくわしくかんそく・けんきゅうした人としてしられています。
1943年から1945年にかけて、有珠山のひがしがわの、むぎばたけがきゅうにもりあがって、あたらい火山(かざん)ができました。「昭和新山」です。
三松(みつまつ)は、ようがんのかたまりが、もりあがるようにしてできた、この火山のようすをミマツダイアグラムという、かたちできろくしました。
そして、この火山を開発などから守るため、ふきんの土地をかいとり、かんそくをつづけました。いま、昭和新山のふもとには、三松(みつまつ)が測量(そくりょう)するすがたのぞうがたっています。
北海道観光(ほっかいどうかんこう)のときには、どうや湖のちかくにある昭和新山とともに、ぜひたずねてみてください。
(三松正夫の測量する像)北海道有珠郡壮瞥町壮瞥温泉 昭和新山麓