ち ず そ く り ょ う い じ ん さ ん ぽ


−地図測量偉人を紹介します−

最上徳内(1755−1836)


最上徳内

 最上徳内(もがみとくない)は、いまの山形県村山市に生まれました。こうした偉人(いじん)には、よくある話ですが、少年時代には、近くにあった甑岳(こしきだけ)にのぼって、しゅっせを願ったそうです。
 
 27さいのときには、ねがいをかなえようと江戸にでました。そして、本多利明(ほんだとしあき)という先生について、天文学(てんもんがく)や数学、測量(そくりょう)を、学びました。
 そのご、先生の意見をきいて、幕府(ばくふ)の役人として、蝦夷地(えぞち:いまのほっかいどう)たんけんに出かけました。蝦夷や千島(ちしま)にわたった最上徳内は、本土とのこうえきやアイヌ人の生活をよくするために努力しました。
 
 1798年には、近藤重蔵(こんどうじゅうぞう)と、協力して、エトロフ島が日本国の領土であることをしめす、「大日本恵登呂府(だいにほんえとろふ)」とかかれた柱を立てました。
 このあいだ、蝦夷・千島・樺太(えぞ・ちしま・からふと)などを、9回もおとずれ、北国のようすや、アイヌのくらしぶりを、「蝦夷草紙(えぞぞうし)」などといった本にしました。
 また、蝦夷(えぞ)、南千島(みなみちしま)など、北方地域(ほっぽうちいき)の地図も多数つくり、まだよく知られていなかった蝦夷(えぞ)を、しょうかいしました。
 
 (最上徳内記念館)村山市中央1ー2ー12
 (最上徳内のおはか)文京区向ケ丘2ー38ー3 蓮光寺


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