大森房吉
大森房吉(おおもりふさきち)は、福井県(ふくいけん)うまれの地震学者(じしんがくしゃ)です。
明治22年に、いまの東京大学(とうきょうだいがく)の物理学科(ぶつりがっか)をそつぎょうした大森(おおもり)は、そのご、ドイツやイタリアにりゅうがくしました。
のちに、おなじ東京大学の地震学の教授(きょうじゅ)となり、おおくの地震をちょうさ・研究し、二百いじょうの、研究ろんぶんを発表しました。
おもな、研究けっかは、大森式地震計(おおもりしき 地震けい)を考えたことと、たてゆれの時間などから、しんげん(:地震のちゅうしん)までのきょりを知る数式を考えたことなどです。
このほか、おおくの研究者をそだて、日本の地震学のきそをつくりました。
大森(おおもり)は、それまでの地震発生のようすから、関東で、大きな地震がおきそうだと、よそうをたてました。
そのよそうどおり、東京大震災(とうきょうだいしんさい:大正十二年)がおきました。そのとき大森は、オーストリアにしゅっちょうちゅうでした。このときドイツからかった、さいしんしきの地震けいを見学していたときに、はりが大きくうごいて、地震がおきたことをしりました。
いそいで日本に帰る、その船なかで大森はたおれ、このことがげんいんでなくなりました。これからさきの日本の地震学が、大きく発展したことを考えると、ふしぎなめぐりあわわせといえます。