松浦武四郎(1818−1888)
松浦武四郎(まつうらたけしろう)は、いまの三重県三雲町(みえけん みくもちょう)にうまれました。
こどものころに、きんじょのおぼうさんに、もじと、かくちのめいしょなどについて、まなびました。
このことがきっかけで、いろいろな国をたびしたいとおもいつづけ、15さいのときに江戸(えど)にむかって、いえでし、16さいのときにも、またいえでし、それから4年かんかけて、日本ぜんこくのめいしょなどをまわりました。
そのころのこうつうは、うまやかごのほかは、あるくことしかありませんから、4年かんで日本中をめぐることは、たいへんなことであったとおもいます。
そのごも、日本全国をめぐり、たくさんの地方のひとびとと、であい、いけんこうかんし、いろいろなべんきょうをしながら、たびをしました。
1845年(27さい)には、はじめて蝦夷地探検(えぞちたんけん:いまのほっかいどう)にでかけます。
そのごも、まい年のように、蝦夷地(えぞち)をちょうさして、伊能忠敬(いのうただたか)の地図にはなかった、りくのなかのくわしい地名や川のなまえをしらべ、地図にかきました。
また、たんけんのけっかを本としてまとめたほか、渡島(おしま)・後志(しりべし)・日高(ひだか)などの北海道かくちの地名(ちめいを)をつけました。
武四郎(たけしろう)は、わかいときから、日本かくちをさかんにたずねましたが、そのいよくは年をとってからもおとろえることはなく、68さいになってから、大台ヶ原(おおだいがはら)や富士山(ふじさん)に、ちょうせんし、70さいになってからも日本全国をたびしたということです。
(松浦武四郎のおはか)東京都豊島区駒込5 染井霊園
(松浦武四郎きねんかん)三重県松阪市小野江383