忠敬の使った測量器械のうち、北極星(ほっきょくせい)など、恒星(こうせい)の天体の高さはかって緯度(いど)を求める「象限儀(しょうげんぎ)」は、大阪の間重富(はざましげとみ)が、今の中国の本にあるものをさんこうにして作ったといいます。
また、山や海岸線などの方向をはかる、磁石(じしゃく)つきの「小方位盤(しょうほういばん);『わんかららしん』ともいった」も、もとは中国やオランダなどの本をさんこうにして作りましたが、のちに忠敬や高橋至時(よしとき)先生の意見をとり入れて、間重富が改良(かいりょう)しました。
みなさんも目にしたことがある、距離(きょりを)をはかる器械「量程車(りょうていしゃ)」は、至時先生の考えをもとに作りました。
忠敬も初めはこれを使いましたが、道がでこぼこであったため正しくはかることができないので、後には、ほとんど使用しなかったそうです。
そのほかにも、いくつかの測量器械がありますが、いずれも、こまかなところは京都の戸田東三郎や江戸の大野弥五郎といった、時計職人(とけい しょくにん)が協力して作りました。