忠敬は今から約270年ほど前の1745年に、黒潮(くろしお)がうちよせる、今の千葉県九十九里町(くじゅうくりまち)に生まれました。
子どものころの名前は、神保三治郎(じんぼう さんじろう)といい、今の数学にあたる算学(さんがく)などを学んだといいます。また、今の茨城県のお寺で医学(いがく)を学んだという話もあり、とても頭のよい子どもだったといいます。
ところが、お母さんが早くになくなり、お父さんとは別れてくらすこともあるなど、ふうんなこともたくさんありましたが、元気にそだちました。
そして、17歳になってから、同じ今の千葉県香取市佐原(かとりし さわら)にあった伊能の家に婿養子(むこようし)に入りました。