測量は、ちょっとひと休みです!!
忠敬が婿養子(むこようし)に入った伊能家の妻ミチは、4歳年上で子どもが一人いる女性でした。ミチは、残された手紙などから、ちょっとわがままで、気の強い奥さんであったようです。
そのミチとの間には、女の子ふたりと男の子の、3人の子どもができましたが、ミチは42歳でなくなります。
忠敬は、その後3人の妻をむかえます。
2番目の妻とは、ミチの死んだあと4年目に結婚しますが、さらに4年後になくなります。
その妻(法名:死んだあとに付ける名前、をミョウテイといった)との間には男の子二人と女の子の、合計3人が生まれました。この子どもたちのうち、秀蔵(しゅうぞう)は、後に忠敬といっしょに「測量隊(そくりょうたい)」で仕事をします。
3人目の妻は、武家(ぶけ)のむすめで名をノブといいましたが、この人も病気がちで、5年目になくなります。
そして、最後にいっしょにくらしたのはエイという女性です。彼女は頭がよく、地図作りも手つだいました。