忠敬は、富士山に登っていません。
忠敬の測量は、海岸線やおもな街道(かいどう)をはかって地図を作ることにありました。ですから、富士山などの山々や、そのころの小さな街道などには行っていません。
しかし、遠くから、もくひょうになる山や、はなれ島などは、その方向を小方位盤(しょうほういばん)などで観測しました。
忠敬の日本全図には、そうした測量の方向をしめす線がたくさん書かれています。
たとえば、富士山は遠く三重県の伊勢の日和山(いせのひよりやま)など、約200km以上もはなれた地点から、はかることにも成功しています。
忠敬は富士山には登っていませんが、その高さをはかっています。忠敬が、箱根からはかった値(あたい)は3,097m、三島からは2,603m、吉原からは3,659m、そして西倉沢村(現由比町)からは3,732mでした。ほんとうは、3,776m)。