「伊能忠敬測量隊(いのうただたか そくりょうたい)」といわれるように、忠敬を中心に、いく人かの助手や手つだいの人で、測量をしました。
忠敬の測量は、「子午線(しごせん)の長さをもとめてみたい」というきょうみから、ボランティアのような形で測量を始めましたから、初めは忠敬だけが測量をする人でした。
その後は、幕府(ばくふ)の仕事としてみとめられ、役所の手だすけをうけるようになりました。
測量隊員も、忠敬のみうちの者だけではなく、「天文方(てんもがた;現在の気象庁(きしょうちょう)といったおやくしょのぎじゅつしゃ)」も、さんかするようになり、測量隊の人数もふえました。
そして、忠敬から教えをうけた、すぐれたぎじゅつしゃを中心にして、いくつかの班にわかれて測量をするようにもなりました。このような測量を、手分け測量とよんでいました。