忠敬は、日本全図を作るため各地を歩きました。東北から、今の北海道にあたる蝦夷(えぞ)の南と東海岸、そして本州、四国、九州と、ほぼ日本全土の測量を続けました。
はなれ島も九州の対馬(つしま)や五島(ごとう)、天草(あまくさ)、種子島(たねがしま)、屋久島(やくしま)、そして瀬戸内海(せとないかい)の小豆島(しょうどしま)や淡路島(あわじしま)、日本海の佐渡島(さどがしま)など、主な島の測量もしましたが、伊豆七島だけは、忠敬が年をとったため、忠敬をのぞく、ほかの測量隊員(そくりょう たいいん)だけで仕事をしました。
ところが、忠敬の測量隊は蝦夷の北と西海岸は測量していません。この部分は、間宮林蔵(まみやりんぞう)の測量結果(そくりょうけっか)を利用して、日本全図に書き入れています(さいきん、蝦夷地の全部が林蔵の測量結果を利用したといわれています)。
忠敬は、測量をしなかったところは、点線などのあいまいな線で地図に書いていますが、蝦夷の西海岸も実線で書いているということは、間宮林蔵の測量技術(そくりょうぎじゅつ)を、たしかなものだとみとめていたことになります。
伊能忠敬の地図をくわしく見て、測量しなかった海岸線を調べるのもおもしろいでしょう。
表題の問いかけの答ですが、残念ながら奄美大島(あまみおおしま)や沖縄の測量はしていません。