忠敬の測量は、1800年の春に東北から蝦夷(えぞ)へ向けて出発したのが最初です。
それから、忠敬が年を取ったため参加しなかった伊豆七島の測量をふくめて、江戸から9回の旅(たび)に出かけました。その旅は、短くても約100日、長いときには900日をこすほどでした。
さいごの東京しゅうへんの測量が終わったのが、1816年の冬。これまでの17年間、北から南まで、地球の円周と同じ約40,000kmの海岸線を、日数にして3,753日かけて測量しました。
この間に、測量隊(そくりょうたい)に休みはあったのでしょうか。忠敬の書いた「測量日記」を読んでみると、天候がとても悪いときは、部屋で仕事をし、夜もおそくまで天体観測(てんたいかんそく)をするなど、休日も少なく、熱心に仕事をしました。
「伊能勤勉測量隊」(いのうきんべん そくりょうたい)とよんでもよいくらい、とてもがんばったようです。