忠敬は、至時(よしとき)先生のもとで天文学や暦学(れきがく)を学ぶうちに、その時の暦学の問題であった、「子午線(しごせん)1度の長さをせいかくに知り、その結果から地球の大きさをもとめてみたい」という気持ちになったのです。
それは、南北方向の距離(きょり)を正確にはかり、それぞれの地点で北極星などの恒星(こうせい;おたがいの位置を変えない星)の位置(いち)を観測することで、各地点の緯度(いど)を知ることでもとめられます。
ですから、忠敬の測量は、江戸を出て、北へ北へと距離(きょり)をはかり、緯度の観測(いどのかんそく)をつづける計画でした。
ところが、地球の大きさをもとめるという目的では、幕府から測量を行うためのきょかがもらえません。
そこで、表むきの目的は、日本の正確地図を作るためとして始められました。
忠敬は、地球の大きさをもとめる測量を進めるうちに、日本のすがたを正確な地図、そして美しい地図として残そうと考えたのでしょう。その後は、海岸線だけでなく、主な街道筋(かいどうすじ)などの位置を正確に測量し、今残されているような地図を作り始めたのでした。