伊能忠敬が作った日本地図を手に入れたシーボルトは、日本での仕事を終わって、オランダへ帰ることになりました。
ところが、その船が暴風雨(ぼうふうう:あらし)で長崎の近くでそうなんしてしまいました。そのつみ荷の中から、外国に持ち出すことが禁止されていた日本全図が見つかり、シーボルトは取り調べをうけることになったのです。
そのとき、シーボルトは日本全図をすばやく写しとったのでしょう。のちに、ゆるされてオランダに帰ったシーボルトは、日本を紹介する本を書きましたが、その中には、その日本全図をもとにした地図がのっています。幕府(ばくふ)の役人が、高橋景保らがシーボルトと親しくしているということを知ったのは、間宮林蔵が奉行所(ぶぎょうしょ)に知らせたからだという、つぎのような話があります。
ある日のこと、林蔵のところに、シーボルトから小包が届(とど)きました。小包は、林蔵が探検して知った北方(ほっぽう:日本の北の地方のこと)の資料を手に入れたいために送ったもののようでした。
林蔵は、シーボルトとは顔みしりでしたが、外国人からのおくりものを、うけとってはいけないという国の規則(きそく)をまもり、小包を開けずにそのまま奉行所にとどけたのです。
その小包の内容から、高橋景保とシーボルトが親しくしていること、地図や書物を交換していることが分かり、景保やシーボルトが逮捕(たいほ)されることになったのだというのです。