シーボルト記念館(長崎市)
シーボルトは大学を卒業(そつぎょう)すると、一度はお医者さんになりましたが、ほかの国々やちいきのことについて、研究したいという希望をもっていました。
ある日から、オランダ陸軍(りくぐん)の医師(いし:お医者さん)としてつとめることになりました。そのときの職業(しょくぎょう)は医師ですが、民族学や博物学(はくぶつがく:動物、植物、鉱物<こうぶつ>など多くの物について調べ研究する)の学者でもあったのです。
そのころ、オランダは東アジアで貿易(ぼうえき)を進めていて、バタビア(今のインドネシアのジャカルタ)が、その中心になっていました。1822年シーボルトは、オランダ大使館(たいしかん)の医師(いし)として、バタビアをめざして出発しました。最初は、バタビアにつとめていましたが、1823年になって、日本にくることになりました。
シーボルトには、長崎出島にあったオランダ商館(しょうかん)の医師という仕事のほかに、日本とオランダの貿易をさかんにするための調査(ちょうさ)という仕事も命令(めいれい)されていたようです。このようにして、シーボルトは、ほかの国々や地方のことについて研究するという希望をかなえました。