シーボルトが日本にくる前にも、出島にはケンペル、ツュンベルクという人が、おなじように医師として、出島のオランダ商館にきていました。
ケンペルも、日本を紹介し、部分的ですが日本の地図を作っています。ツュンベルクはケンペルの調べ方を、シーボルトはケンペルとツュンベルクの方法に学んで、日本のことをしらべたのです。
その時、彼らは、地図だけでなく、多くの植物(しょくぶつ)とその種(たね)を集めました。もちろん、博物学という学問のためでもありますが、ヨーロッパでは、東洋(とうよう)のめずらしい香辛料(こうしんりょう:とうがらしやこしょうなど、料理にかおりや味をつけるもの)をさがしていたのです。
ケンペルはウメ、ヤマブキ、シュウカイドウ、サザンカなどをヨーロッパにしょうかいしました。シーボルトも、テッセン、ウツギ、そしてアジサイなどに名前をつけました。ツュンベルクもおなじです。
その中の一つ、ヨーロッパにはなかったアジサイの花の正式な名前に「おたきさん」と、つけました(=ヒドランゲア・オタクサ)。とうじの出島には、りっぱな植物園(しょくぶつえん)もあり、シーボルトが、もち帰った植物やその標本(ひょうほん)は、一万点にもなったそうです。