長崎と江戸の間を旅したシーボルトは、植物採集(しょくぶつさいしゅう)だけでなく、日本の地理についても調べました。どこに港(みなと)があるか、何が名産(めいさん)か、どのくらいの人がすんでいるかなどです。
もちろん、山の名前や高さ、町や港の名前や位置なども調べましたが、そのころの日本は、外国人がこのようなことを調べることを、禁止(きんし)していました。
しかし、シーボルトが測量(そくりょう)をするのを、いちぶのお役人(やくにん)は、見ないふりをしていたようです。旅(たび)をしながら、各地の位置(いち)をクロノメータという器械(きかい)などで測(はか)り、気圧で山などの高さを測り、港(みなと)のようすなどもできるだけ調べました。また、各地の科学者(かがくしゃ)からは、書物(しょもつ:本)や各地の地図も手に入れました。
富士山の高さも門弟(もんてい:生徒)の二宮敬作(にのみや けいさく)に、頂上(ちょうじょう)にのぼらせて、高さ測ったといいます(3794m、1828年)。 しかし、日本にいるときに、自分の手で日本全体の地図を作ったことはなかったようです。