シ ー ボ ル ト  ま め じ て ん


−シーボルトへのぎもんに答えます−

12.シーボルトがみならった、ケンペルってどんな人?


ケンペルのはんこ

 ケンペルは、1651年にドイツのレムゴーという町で、牧師(ぼくし)の子として生まれました。大学では、歴史(れきし)や医学(いがく)のほか、薬学(やくがく)、博物学(はくぶつがく)などを学びました。
 あるとき、スウェーデン王国のペルシャ(今のイラン)への使節団(しせつだん)に、さんかすることになり、ペルシャにむかいました そこでは、スケッチや測量をして、多くのことを記録(きろく)しました。このことが、ケンペルの東洋(とうよう)へのかんしんを大きくすることになります。
 そのご、ケンペルは、スウェーデンには帰らずに、オランダの東インド会社がある、バタヴィア(今のインドネシアのジャカルタ)にむかったのです。1690年、長崎出島の商館(しょうかん)つきの医師(いし)として日本にきます。ケンペルは初め、出島から出ることをゆるされていませんでした。しかし、オランダ語を教える代わりに、日本語や日本ことを学び、知ることができました。
 日本にいる間に、商館長のおともをして、江戸に二回行きました。そのとき見たこと、聞いたことを、「日本誌(にほんし)」という本にまとめたのです。この本の中には、将軍綱吉(しょうぐん つなよし)のころの、日本の町や人々のようすが、くわしく書かれています。ケンペルは、医師という、おもてむきのやくめのほかに、知らない国、日本を調べるという、やくめももっていたのです。本の中には、彼が作った地図もあります。
 長崎から江戸までの地図は、かくして持っていたコンパスを使って、まわりの役人にきづかれないように測量し、手帳にかいたといいます。もちろん、多くの植物も集めましたから、シーボルトのことと、そっくりです。


はじめ、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 10、 11、 12
copyright (c) オフィス 地図豆 All right reserved.