ま み や り ん ぞ う  ま め じ て ん


−間宮林蔵へのぎもんに答えます−

8.いっしょに樺太を探検した松田伝十郎って、どんな人?


「樺太島図」(間宮林蔵・松田伝十郎)

 林蔵といっしょに樺太を探検した松田伝十郎(まつだでんじゅうろう)のことをしょうかいしましょう。
 伝十郎は、越後(えちご:いまの新潟県)に生まれました。林蔵とおなじように、かくちの道路の工事などをかんとくしていた、大西栄八郎(おおにし えいはちろう)という、さむらいに見こまれて、江戸にいきました。武士(ぶし)としてのしゅぎょうをして、松田という家の養子(ようし)になりました。
 幕府がおさめていた蝦夷地につとめることをきぼうし、樺太や蝦夷(えぞの)仕事をしていました。そして、林蔵とともに樺太を探検することになります。まえにも、お話したように、伝十郎と林蔵は、島であればどこかで落ち合うことで、伝十郎は西海岸を、林蔵は東海岸を小船で北に向かいました。しばらくして林蔵は、北へいくことをあきらめましたが、伝十郎は、それより北にある、ラッカ岬(みさき)というところまで行きました。
 
 伝十郎は、この時のようすと、すんでいた人たちの話しなどから、樺太(からふと)が島であると思ったそうです。江戸に帰ると、さっそく「樺太島図」という地図にしました。
 ところが、そのごも樺太にわたった林蔵は、シベリアにまでわたり、「樺太」が島であることを発見し、幕府に報告(ほうこく)しました。松田伝十郎のことを思っている人たちは、さいしょに樺太が島であると確認(かくにん)したのは伝十郎であって、隊長(たいちょう)である伝十郎にことわりもなく、林蔵が幕府に報告したのは、けしからんといっています。


はじめ、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 10111213
copyright (c) オフィス 地図豆 All right reserved.