そして、1808年(28歳)になると、松田伝十郎(まつだでんじゅうろう)とともに、樺太(からふと:今のサハリン)探検をめいれいされます。
そのころ樺太は、島なのか、シベリアと陸つづきの半島であるか、よくわかっていませんでした。もちろん、地図の上でも半島となったり、あいまいな線で書かれたりしていました。二人は、アイヌの人が案内(あんない)する小さな舟で、林蔵は東から、伝十郎は西へと二つに分かれて調査(ちょうさ)を始め、「樺太が、島であれば、いずれ再会(さいかい)しよう」とやくそくしました。
ところが、林蔵が進んだ東海岸は、北にむかうにつれ波があらく、小舟での探検(たんけん)がむずかしくなり、あきらめて山をこえ、伝十郎が調査する西海岸へ進みました。伝十郎はというと、さらに北へ進んでいて、潮(しお)の流れのようすや、海をはさんでシベリアが見えたことなどから樺太が島であることをしんじて探検を終え、林蔵と再会しました。
二人のこの年の探検は、これで終わりました。