林蔵くん
15歳ごろまで、上平柳(かみひらやなぎ)ですごした林蔵少年は、自宅(じたく)の近くを流れる小貝川で行われていた、せき止め工事(せきとめこうじ:水害をふせぎ、農業に使う水を利用しやすくするための工事)に、きょうみをもちました。
林蔵少年は、朝早くから日ぐれまで川の近くに立ち、ねっしんに工事の進みぐあいを見ていました。
そのようすが、工事をたんとうしていた役人の目にとまりました。
そして、いつの日からか、お役人の雑用(ざつよう:こまごまとした仕事)を、手つだうようになったのでした。
その後、幕府役人(ばくふ やくにん)の一人であった、村上島之允(むらかみ しまのじょう)といっしょに各地をめぐり、土木工事(どぼくこうじ:川や道路などを作る仕事)や絵図(えず)の作成を手つだいながら、いろいろな技術(ぎじゅつ)を勉強しました。
さらに、各地の調査(ちょうさ)や測量(そくりょう)にも出かけることになり、その中で測量と地図作りを勉強したといわれています。