残された間宮林蔵の探検(たんけん)用ずきん
林蔵の蝦夷地(えぞち)での測量(そくりょう)のけっかも利用して、忠敬の弟子(でし)たちの手で日本全図ができあがりました。大広間(おおひろま)で広げられた地図に、将軍(しょうぐん)や大名たちはおどろきの声を上げたといいます。
このとき、林蔵の功績(こうせき)は、どのようにつたえられたのでしょうか。いまでは、わかりません。林蔵は、樺太探検のあとは松前藩(まつまえはん)の役人(やくにん)となり、さらに蝦夷地測量のあとは幕府(ばくふ)の役人となり、外国から日本をまもるための仕事をしていたようです。
外国船が港に入ったとか、そうなんした船の外国人が上陸したという話があると、北は蝦夷地から南は九州まで、休むひまもなく見回りを続けました。そして、諸国(しょこく)のようすなどを幕府にほうこくしていました。
このように林蔵の仕事は、戦国時代(せんごくじだい)のような隠密(おんみつ)ではありませんが、幕府のえらい人から、とくにめいれいされて、外国のようすと、外国に関係する各地の大名などのようすを調べ、せいかくにほうこくすることでした。