ま み や り ん ぞ う  ま め じ て ん


−間宮林蔵へのぎもんに答えます−

11.シーボルト事件は、林蔵の密告(みっこく)でおきた?


「鉄鎖(てつさ)と間縄(けんなわ)」

 1823年シーボルトが日本にやってきました。長崎出島の医師(いし:おいしゃさん)であったシーボルトは、日本の人たちに、そのころの外国の文化や医学(いがく)、科学(かがく)などをしょうかいしながら、日本のようすを調べていました。
 忠敬の先生であった、高橋景保(たかはし かげやす)もシーボルトと会いました。そして、彼が持っていた一冊の書物を手に入れたいと思い、日本地図とこうかんするやくそくをしたのです。
 
 そんなとき、林蔵のもとにシーボルトから小包(こづつみ)がとどきました。林蔵は、小包を開くこともなく、奉行所(ぶぎょうしょ)にとどけました。
 届けられた小包の内容から、高橋景保とシーボルトの間で、地図や手紙のこうかんが多く行われているのではという、うたがいがおきました。それが、高橋景保が逮捕(たいほ)される、きっかけになったといわれています。林蔵は、けっして密告(みっこく)したのではなく、「許可(きょか)なく、外国人とせっしてはいけない」という規則(きそく)をまもって、ほうこくしただけです。
 シーボルトは、林蔵のほうこくによって自分が取り調べられるきっかけになったことを知っていたのですが、樺太が島と、シベリアとの間に海峡(かいきょう)があることを最初に発見した人としてみとめ、地図にも「間宮瀬戸(まみやのせと)」と記入しました(1832)。


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