私たちがつかっている地図は、いつごろからあるのでしょう。
 ずーっとむかしから、いまのような紙に書かれていたのでしょうか。
 むかしの地図に、日本はどのように書かれていたでしょうか。
 ”まさとくん”と、うさぎの”ラビーちゃん”といっしょに、地図の歴史(れきし)をたどってみよう。

まさとくん

ラビーちゃん
 
 
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その15 色あざやかな地図からさびしい地図に


 
 いよいよ、明治の時代になります。  
 日本はこれまで、鎖国(さこく)をしていたので、地図やそれを作るための測量のことは、長崎などから入ってくる、西洋の技術(ぎじゅつ)を使ってはってんしてきました。  
 
 ところが、江戸幕府(えどばくふ)の終わりのころからは、幕府や明治政府にやとわれた、西洋人から新しい技術を学びます。  
 お雇い外国人(おやとい がいこくじん)とよばれる技術者からです。  
 

   へー?  
 お雇い外国人って、どこの国の人ですか。  
 
  地図のことでは、江戸幕府の終わりのころと、明治の初めのころは、フランスの技術者から学びました。  
 だから、できあがったものは、フランスの地図によくにたものだったんだよ。  
     
 
   フランスの地図によくにたものということはどのようなことですか。それに、さいしょはフランスということは、そのあとは、ちがう国の地図を手本にしたのですか。  
 
   フランスの地図のようなということは、下にあるような、きれいな色づかいのものなんだ。  
   

 
「五千分一東京図」(1883年〜1884年)
 
 
  それから、明治のはじめにはフランスを手本にしたのですが、そのごは、ドイツを手本にした地図をつくるんだ。  
 それが、下のような地図なんだ。
     
 
1/50,000地形図
 
   
   黒色だけで、さびしい地図ですね。  
   
   そうですね。  
 日本全国のせいかくな地図を早く作ることを目標にしたこともあって、このような地図になったんだね。  
 でも、伊能図ではまっ白だった山の中も、びっしりと情報でうめられた地図が作られたんだよ。

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