私たちがつかっている地図は、いつごろからあるのでしょう。
 ずーっとむかしから、いまのような紙に書かれていたのでしょうか。
 むかしの地図に、日本はどのように書かれていたでしょうか。
 ”まさとくん”と、うさぎの”ラビーちゃん”といっしょに、地図の歴史(れきし)をたどってみよう。

まさとくん

ラビーちゃん
 
 
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その14 伊能図とそのころの地図


 
  そして、いよいよ伊能図が作られるんですね。    
 
 そうです。伊能図と伊能忠敬のことは、ほかでも多くしょうかいされていますから、くわしいことは、しょうりゃくします。  
   
 できあがった地図は、今につながるような測量技術(ぎじゅつ)と、とういつしたきかくで作られた、最初の日本全図ということになります。    
 
  伊能図のあとは、どうなるのですか。  
 それからも、たくさんの測量が行われて、日本全図が作られたのですか。  
 
 
伊能図(1821年)
 
     
  中国からつたえられた、あるいは長崎の出島などからつたえられた、西洋の測量ぎじゅつは伊能忠敬だけでなく、日本各地につたわっていきます。  
 
 ですから、伊能忠敬の前も、あとも、日本各地で同じような測量がおこなわれて、各地の地図が作られたんだ。  
 しかし、測量をして日本全図を作った人はいません。新しい日本全図ができるのは、明治の時代になってからなんだ。  
 
 
石黒信由が作った、北陸の地図(「加越能三州分略絵図」)1820年ころ  
 
 
間宮林蔵がつくったといわれる、えぞの地図(蝦夷全図)1810年ころ
 
   
  へー、間宮林蔵も地図をつくったのですか!  
 知りませんでした。おどろきです!  

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