地名からたどる創作民話


 地図にかかれた地名から想像して作ったお話をおとどけします。





広島県三次市布野町捨金(すてがね)、二井殿(にいとの)(1/25,000地形図浜田3号の3「櫃田」)、(1/25,000地形図浜田3号の4「土布野」)
 

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広島県 いたずら河童のおかげです

(いたずらかっぱの おかげです)




 ある小さな沼に河童(かっぱ)がすんでいた。
 その河童は、いたずらずきだった。とおりかかる人を見つけては、小えだを投げつけては、つまずかせて川へ落とすというようないたずらをしていたんだそうな。

 ところが、あるときから、人をばかすようなこともできるようになったんだと。
 そんな、ある日池のほとりを旅人(たびびと)がとおった。
 河童は、さっそくおぼえたての、そのいたずらをためしてみることにした。
 お金に見せた木の葉を、旅人の足もとにまいたんだ。
 そうとは知らない旅人は、道ばたにお金が落ちていることにふしぎに思いながらも、あたりを見わたしながら、そっと、むねにしまったんだ。

 ひょんなことで、お金を手に入れた旅人は、気持ちが大きくなり、村の中ほどにあったお店で、食べ物やら着物やらたくさんの買い物をした。
 そして、お金をはらおうと手を入れたふところから出てきたのは、黄色になった葉っぱばっかり。
 旅人はいろいろとせつめいしたんだが、しんじてもらえず、店のあるじや使用人にふくろだたきになりそうになって、にげ出したんだと。

 「はたらかないで、手に入れたお金なんかに、ろくなことはない」と旅人は思ったそうな。

 そんなことを考えながら、山道を進んでいると、道ばたで、ばあさまが体を丸めて苦しそうにしていた。
 旅人は、わけを聞くと「村までようたしにいった帰りに、とつぜんおなかがいたくなっただ」という。
 しばらく、ばあさまのせなかをさすった旅人は、小さな体をせおっての、じいさまのまつ家まで送りとどけたそうな。

 じいさまとばあさまは、たいそうかんしゃしての、しばらくとまっていくようにといったんだと。
 旅人はいそぐこともない、あてのない旅だったから、とまることにしたんだと。

 そして、たいくつしのぎに、畑をたがやし、田の草取りを手つだって、じいさまにも、ばあさまにも気に入られてすごすうちに、秋のしゅうかくのころになってしまったんだと。

 こうして、いっしょにくらすうちに、こがらしが吹く冬がやってきたんだ。
 その年は、たいそう寒い日が続いて、じいさまもばあさまも元気がなく、かぜをこじらせて、二人ともあいついでなくなってしまった。

 じいさまとばあさまは、しぬまぎわに旅人(たびびと)にこういったんだと。
 「私たちがなくなっても、どうか、この家でいつまでもくらしてくれ」とね。
 旅人は、そういわれたものの、じいさまもばあさまもいない家にすみ続けるのは気がひけたんだ。
 しかし、村人も「じいさまもばあさまもそう話していたんだから、ここにすみつづけるとよい」と、よい言葉をいってくれたんだ。
 そいで、旅人はこの村にすむことにしたんだと。

 ところがある日のこと、旅人はくらの中をのぞいてびっくりしたんだ。くらのすみの古びたつぼの中には、お金がびっしり入っていた。
 そのとき旅人は、すぐにな、この村に最初にきたときのことを思い出したんだと。
 「自分が働いてもらったものでないものは、自分で使っちゃいけない」と。
 そう思った旅人は、このお金を村のために使ったんだ。
 こまった人がいれば、かしてあげ、道を作るためや、川のつつみをなおすために使ったんだと。

 それからというもの旅人は、村のものからかんしゃされ、二位殿(にいどの)とよばれるようになったんだと。
 しかし、つぼのお金がなくなったある日、村人にはなにもつげずに旅に出た。道すがら「今あるのは、あの河童(かっぱ)のいたずらのおかげ」と、河童にかんしゃしての、沼のほとりで少しだけたたずんで、この村を後にしたようだったと。

 もうそのころには年おいていた、あのときの河童はな、その話をじまんげに、なんども、なんども、まごの河童に話してすごしたんだと。
 その河童が、木の葉をまいたあたりは、「捨金(すてがね)」、旅人がすまいしたあたりは、「二位殿(にいどの)」とよばれているそうな。

 *二位:功績のあったものにあたえる位階(くらい)のひとつ。一位から八位まである。


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