地図にかかれた地名から想像して作ったお話をおとどけします。
静岡県賀茂郡西伊豆町祢宜畑(ねぎのはた)(1/25,000地形図静岡4号の3・8号の1「仁科」)
伊豆(いづ)の山おくに、長いれきしを持つ神社があったんだと。
ある春の朝のこと、神主(かんぬし)さんが、けいだいのにわそうじをしていると。大きな”ぎんなん”の木のかげに、かなしそうな顔をした男の子が立っていたんだと。
神主さんが、声をかけると、その子は小さな声でこういったんだと。
「おらー、おなかがへってしにそうだ」
「はやりやまいで、おとうも、おかあもしんでしまって。しばらくは、海べの家でひとりで、くらしていたんだけれど、ついに食い物がなくなって、家を出たんだ・・・」
神主さんはな、さっそくその子に、おなかいっぱいごはんを食べさせたんだ。
そして、子どものいなかった神主さんの夫婦(ふうふ)は、これからもせめて食べ物にこらないようにと、子どもに新しく”ほつみ (穂積)”と名づけて、そだてることにしたんだと。
ひと月もすると、ほつみは、ぽっちゃりと太って、元気になったんだと。ところがな、神主さんところへきて、ふた月になろうとしたある日、とつぜんいなくなったんだ。
神主さんの夫婦は、そこらじゅうをさがしたんだが、見つけることはできなかった。
「せっかくの子宝(こだから)だったのに、風のようにきて、風のようにどこかへいってしまったなー」といって、ざんねんがったんだと。
それから、ふた月ほどもしたころだった。
秋も深まって、いつものように神主さんが、ぎんなんの木の下で、草や葉をかき集めているとな、とりいのかげに、やせ細ったほつみが立っていたんだと。
「ほつみ”ではないか、どうしたんだ」
「・・・・」
「どこへいっていたんだ」
「・・・・」
なにを聞いても、これまでのことは言わなかった。
神主(かんぬし)さん夫婦(ふうふ)は、ともかくよごれきったほつみをふろに入れ、ごはんを食べさせたんだ。
しかし、数か月もしてすっかりもとのように丸まるしてきたら、ほつみは、またいなくなったんだと。
神主さん夫婦も、たびたびのことでもあるし、二人には分からない、いやなことでもあるのだろうと、すっかりあきらめていたんだそうな。
冬がすぐそこまできたある日、神主さんはいつものようにぎんなんの、かれ葉を掃除していると、神社のかげの草むらに小さなどうくつの入り口を見つけたんだと。そして、その中に光るものが見えたそうな。
近づいてみると、穴の向こうから歩いてくるのはほつみではないか。
よごれた体を洗い、食事をすませると、神主さんは、こんどこそしっかりとといつめたんだ。
ほつみは、こういったんだと。
「ある日、神社のうらで遊んでいて、この入り口を見つけたんだ。まっくらな、あなを入っていくと向こうがわに出ての、そこには海の見える村があっての。あなの出口には、小さなお百姓(ひゃくしょう)さんの家があって、そこのおじさんとおばさんに声をかけられたんだ。『どこからきたんだね?、休んでいきなさい』ってね。」
つづけて、ほつみがいった。
「穴からきたといっても、しんじてもらえそうもなかったから、神主さんに最初にあったときのように、『おとうも、おかあも、はやりやまいで、死んでしまって・・・』と話したの」
「びんぼうなお百姓さん夫婦は、『それにしては、よく太っているの』と、うたぐったけれど、ぼくを大切にしてくれて、かわいがってくれたんだ。話を聞くと、やっぱり、その二人にも子どもがいないことがわかって、帰りそびれてしまったの」
「そうか、そうだったのか」
ほつみから、この話を聞いた神主さんは、さっそく穴をくぐり、海の見える村のお百姓さんの家に向かたんだと。
そこには、たしかに小さな畑しか持たない、まずしい夫婦がすんでいた。
神主さんは、これまでのことを夫婦に話して、二人には、あなの向こうの畑を、少しかすことにしたんだと。それからというもの、お百姓さんは、あなの道をとおってな、神主さんの畑をたがやすことになったそうな。
ほつみはというと、それからも山の神主さんの家と、海のお百姓さんの家を行ききしてすごしたんだと。
神主さんの畑があったあたりは、今では「祢宜畑(ねぎのはた)」とよばれているそうな。
*禰宜(ねぎ):神主さんの下に位置する神職のこと