地図にかかれた地名から想像して作ったお話をおとどけします。
岩手県釜石市鵜住居(うのすまい) 1/25,000地形図「釜石」
そこは、北国の海に近い村だった。
春のおとずれは、なの花が、冬のかけ足は、川を上る鮭(さけ)のむれが知らせてくれる、北国のお話じゃ。
お話のはじまりとなる村は、東の川と西の川にかこまれたところにあってな、どこへ出かけるにも、川をわたらなければならないというところだったのさ。
そして、なぜか女と子どもだけがすんでいた。
そんな川にかこまれた土地には、ちっちゃなお尻(しり)の「尻軽(しりがる)おんな」たちのすむ村とな、どっしりお尻の「尻重(しりおも)おんな」たちがすむ村があったんだと。
尻軽おんなたちはというと、東の橋さわたった先にある、山に入って鉄砲(てっぽう)うちをする男衆(おとこしゅう)の村にの、まいばんのように、遊びに出かけていたそうな。
尻重おんなはというと、東の橋から男衆たちが遊びにきても、けっして家には入れなかったんだ。
それよりも、西の橋をわたった先にあるじいさまのいるむらへいっては、とれた野菜(やさい)を売って、くらしていたんだと。
その村が秋をむかえたある時、もうれつなあらしが二日も続き、この土地にかかる東と西の二つの橋が一度に流されてしまったんだと。
橋(はし)をうしなった尻軽おんなたちは、それでも舟を使って、男村に遊びに出かけたそうな。
いっぽうの尻重おんなはというと、舟を使って、西のとしより村のじいさまたちのところへ、ようたしに出かけようとしたんだが、小舟はいくらも進まないうちに、ずぶずぶとしずんだそうな。
みんなの尻(しり)の重さが、わざわいしたんだな。
魚が売れないじいさまたちと、野菜が売れない尻重おんなたちは、ふだんどおりの生活ができないので、さっそく、橋(はし)作りのそうだんを始めたそうな。
じいさまたちは、力を合わせて木材を切り出した。
女衆(おんなしゅう)はというと、かけ声もいさましく、じょうぶで重い尻を使ってくいを打ちはじめた。西の橋は、またたく間に工事が進んでな、冬がくる前にりっぱな橋ができ上がったんだと。
東の橋(はし)はというと、流されたままで、冬が近づき、舟での行ききもままならなくなったそうな。
尻軽おんなたちは、毎日の食べものにもこまるようになった。男衆(おとこしゅう)とそうだんして、やっと橋作りを始めようとそうだんをしたんだと。
ところがな、力を合わせない尻軽おんなと男衆では、思うように木材がはこべなかった。
もちろん、尻軽おんなのやわらかいお尻ではな、くい打ちもできなかったと。だから、雪がちらついてきたが、橋作りはいっこうに進まなかった。
尻軽(しりがる)おんなと男衆(おとこしゅう)は、しかたなく、尻重(しりおも)おんなと、じいさまたちに助けもとめにやってきたそうな。
「木材のはこび方を教えてくれねべか」
「橋の作り方を!」
「重い尻で、くい打ちを手伝ってくれねえか」
人のよい、尻重おんなとじいさまたちはな、橋作りをたすけることにしたんだと。
みんなで協力したからな、雪がつもる前には、橋はできあがったそうな。
おかげで、尻軽おんなも男村へかようことができるようになっての、よろこんだのだが、もう遊びのためにかようことはなくなったと。
りっぱにできた東と西の橋。それからの橋のしゅうりなどは、女子だけではできないからの。
東となりにすむ男衆(おとこしゅう)か、西となりにすむ、じいさまたちに助けてもらうことにしたんだと。
「ええーい、めんどうだ、みんないっしょにすむべい!」
「そうせば、海のものも、山のものも、畑のものも自由に手に入るべ!」
そういうことになっての、それからというもの、二つの川にかこまれた村にはな、じいさまも男衆もいっしょにすむようになっての。おんなたちはけっこんして、たくさんの子どもを作ったそうな。
もちろん、尻軽おんなも男衆も仕事にせいを出すようになったそうな。
じいさまたちも、しんせつにしてもらっての、ながいきしたと。
東の橋のこのあたりは、いまでも「おなっぺ(女遊部)」とよばれているけどな、尻の重い「おっかあ」ばかりになったんだと。