地名からたどる創作民話


 地図にかかれた地名から想像して作ったお話をおとどけします。



 

富山県南砺市理休(りきゅう)、人喰谷(ひとくいだに) (1/25,000地形図金沢1号の2「城端」)、(1/25,000地形図金沢2号の1「下梨」)
 

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富山県 “とよ婆”の青い目をみるとな

(とよばあの あおいめをみるとな)




 冬は雪深い、この村の小さなお寺に「理休(りきゅう)」という、お坊(ぼう)さんがいての。理休は、京でしゅぎょうをつんで、この春に、越中(えっちゅう)にやってきたそうな。
 理休にとって、この地での生活はかいてきだった。
 となりきんじょの農家の人びとはしんせつで、おまいりにくるたびに、しんせんな野菜や米などをおいていく。
 この夏の仕事はというと、おとしよりのおそうしきが、すこーしあっただけで、たいくつなほどだった。
 月に一度の集まりには、村のものにちょっとありがたい話をしてな。
 それはそれは、ゆったーりとした気持ちでまいにちをすごしたんだと。

 そして、秋になり、冬になり、雪深い村の小さな寺には、たずねる人も、おまいりする村人もめっきり少なくなった。
 これまで、京ですごしてきた理休には、とてもたいくつな、まい日がやってきた。

 朝と夜には、本堂でおきょうをとなえ、そのあいまには、おきょうをすこしうつして。それでも、やっぱりたいくつだった。
 たいくつが続くうち、理休はいつもの本堂でのおつとめも、おきょうをうつすことも、おっくうになってきた。まい日、コタツで丸くなってすごすことが多くなっていた。

 そんな、雪がふり続くある日の夕方、いつものようにコタツでうたたねをしていると、「どん、どん」と門戸をたたく音がしての。
 門の前には、ひとりのおばあが立っていたんだと。戸を開けると、おばあは、こういったんだ。
 「じいさまのはかのある、おくの村さ行こうと思っての、海べの町からでてきたんだが、雪が深くてとても行けそうもない。それで、雪がやむまでここへとめてもらおうとして、戸をたたいたが」
 「それは、おこまりじゃなー。少し寒いが、本堂(ほんどう)は広いで、いつまででもとまっていかれ」
と理休はいって、おばあを寺にとめたんだ。

 話を聞くとな、おばあは、名を”とよ”といってずいぶん前に、じいさまとひとりむすこ子をなくしたんだと。

 雪は、それからなん日もふり続き、理休はそんな身(み)の上話を、なん度も聞くことになったんだと。
 ところが、ふしぎなことに“とよバア”の身の上話をじっと聞いているとねむくなる。そしてよく朝には、体がひえ切って目がさめる。ふとみると、“とよバア”が横にねていたんだな。
 「なんだ“とよバア”、本堂でねなかっただか」
 「んだ、本堂は寒いし、さびしいんだ」
 雪のふり続くうち、そんなことをくりかえしていると、理休はいちだんとなまけ者になってな、おつとめどころか、本堂の掃除もしなくなったそうな。

 そして、ようやく雪がやんだ日、“とよバア”は、みじたくをしてな、こういったんだ。
 「お坊(ぼう)さん。雪もやんだでな、おくの村さ向かおうと思う。そこで、たのみがあるんだがの」
 「たのみとは、なんかの」
 気のない声で、理休(りきゅう)はいった。
 「雪も多いし、しばらく歩いていないので、不安でな。峠(とうげ)まで送ってくれねーかの」と、“とよバア”がいった。
 “とよバア”の青い目をみていると、なぜか、「うーん。では、峠まで送ってやるか」
と、返事してしまったんだと。
 そういえば、身の上話を聞いているときも、「“とよバア”のあの青い目を見ていると、引き込まれるようにねむくなったなー」
 と、思っては見たが、理休には、どうにもことわれなかったんだと。

 “とよバア”と理休は、みじたくをして雪深い道を、おくの村さへ向かったと。
 ところが、峠が近くなると“とよバア”は、急に早足になってな、とっとと先へ行って、峠のほうに立って、おいでおいでと、手をふっているように見えたと。
 理休はというとな、ひるねでばかりでおとろえた足は重くなりながらも、とよバア”の青い目と手まねきにさそわれるように、ふらふらと、まがりくねった峠道から深い谷のほうにすいこまれそうになった。
 そこは、おっそろしい急しゃめんのつづく谷だった。

 その時だ!
 目の前を大きなウサギが走ったんだと。
 うんよく、その大きなウサギの赤ーい丸い目と、理休の目が合った。
 理休は、「はっと」目がさめたようだった。
 「われは、なんをしていたんだろう」
 気がついた理休は、“とよバア”の、おいでおいでには答えないで、フラフラ足のまま峠道を下りて、寺へかけこんだんだと。

 寺へ帰ってから、村のものにこれまでの話をするとな。
 「なーんだ、お坊さんはしらなかったがかいね、村のものは、みんな知ってるだが」
 といって、こういったんだ。
 「その“とよバア”はなあ、この峠道にすむ“雪山姥(ゆきやまんば)”といってなあ、なまけ者を見つけては雪山へさそうんだ」
「まさかのー、都からきた、えらーいお坊さんがなまけ者だなんて、だれも思わないがに、そいで、だーれも話さなかったんだちゃ」

 雪深いこの村の人々は、冬でも女は縄(なわ)をない、男は木で細工(さいく)ものを作るなど、仕事にせいを出してすごすはたらき者ばかりだったんだと。

 理休は、その後どうなったかって。
 さーての、相変わらずなまけものしていて、いつの間にやら村からいなくなったそうな。
 ウサギもあきれて、たすけてあげんかったというから、谷に落ちたのかのー?

 そしていまでは、寺のあったあたりは、なまけものをいましめるために理休(りきゅう)とよばれての、峠の谷は「人喰谷(ひとくいだに)」とよばれているそうな。
 「大雪の後には、雪山姥(ゆきやまんば)“のとよバア”が、峠のあたりで青い目を光らせて、手まねきするから気をつけろ」といわれているんだと。
 特に、なまけ者にはね!


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