地図にかかれた地名から想像して作ったお話をおとどけします。
徳島県阿南市の忠次郎岬 (1/25,000地形図剣山5号の2「橘」)
阿波(あわ)の海岸近くの村に、忠次郎(ちゅうじろうと)という漁師(りょうし)がすんでいた。
その忠次郎が漁に出かけたある日、その日は、なぎの日だったのに、おきへ出ると、とつぜん海がうずまいての、そうなんしたそうな。
どのくらいたっただろう、見知らぬ島の海べで気がついた忠次郎は、その島のものに助けられたんだと。
その後は、どこか知らない島の人びとにだいじにされて、くらしていたんだ。
それから、三年もたったころだろうか。
忠次郎は、島一番のおとしよりに、そこで知りあった”あや”という島の娘(むすめ)をつれて、ふるさとの阿波の村へ帰りたいとお願いした。
おとしよりは、あやの気持ちも聞いてみなければならないから、少し考えさしてくれといったそうだ。
そのばん、あやはおとしよりによばれたんだと。
あやは、話を聞いて、忠次郎といっしょに行くことにしたんだ。
そのとき、おとしよりから、きつうー、あることをやくそくされたそうな。
そして、忠次郎は阿波(あわ)に帰ってきた。あやといっしょにな。
忠次郎は漁に出て、あやは家事(かじ)にせいを出し、しあわせなまい日だった。
あやは、食べ物の好き、きらいがはげしく、野菜はまったく口にしなかった。そういえば、島での食事も、魚と海草などが多かったなーと、思っては見たものの、忠次郎はあまりふしぎにも思わなかった。
忠次郎といえば、「村の太助(たすけ)のとこでは、男の赤子が生まれた」「治平(じへい)のところでは、女子が生まれた」と、うらやましそうに話すんだと。
そんなある日、あやは「子ができたみたいよ」と話したんだ。
忠次郎は大いによろこんだ。
ところが、しだいにおなかがふくらんでくるとな、あやは、「子は島へ帰って生みたいの」というんだな。
そうすると、忠次郎はこういったんだ。
「どうしても家さ帰りたいなら、子をぶじにうんでから、ひとりで帰れ」とな。
それを聞いてからというもの、あやは、ねむれない夜をなんどもすごしたようだった。しだいに、おなかが大きくなり。おさんが近づいた。
あやは、さいごにもう一度忠次郎に、たのんでみたんだ。
だが、聞き入れてくれなかったんだと。
その夜のことだった。
あやはこっそりと家を出て、村をぬけて港の入り口にある、みさきに出かけた。
ちかごろのあやを見て、気にかけていた忠次郎はな、こっそりと後をつけたんだと。
あやは、みさきの先にきて、遠い島の方がくに向かってひざまずくと、大きな声でなきだした。
そして、こうつぶやいた。
「おかあさん、あやはしあわせ。忠次郎さんにやさしくしてもらって。だから、どうしても、私が・・・だなんていえないし、いってもいけない。
それに、ほんとうはこどもができていないことがわかったら、忠次郎さんにすてられる・・・」、そして、こう続けた。
「かんべんしてね、島のじいさま。『村のほんとうのことをいってはいけないよ』、というやくそくは、まもったのですが、『けっして、うそをいっちゃいけないよ』というやくそくは、まもれなかったの」
「あや?、いまなんていったんだ」
忠次郎が小さく、つぶやいたとき、あやがふり向いた。
「ごめんなさい、あやは、あなたに助けられた海人(うみびと)のむすめです。どうしても、人間のこどもを生むことはできません。ゆるしてください・・・」
というのが早いか、あやの体は、みさきの先からすいこまれるように海へ落ちていったんだと。
そののち、忠次郎はあやを思っての、まい日のように島の方向をながめては、みさきにたたずんでいたそうな。
でも、忠次郎はな、子どものころに浜べで小さな海亀(うみがめ)を助けたことを、一度も思い出すことはなかったんだと。
いま、そのみさきは、「忠次郎みさき(ちゅうじろうみさき)」とよばれているんだ。
そして、あやの血を引くのだろうか、たまごをうむために、まい年この地方にやってくる海亀は、どれもが忠次郎みさきをめざしてくるんだと。