地名からたどる創作民話


 地図にかかれた地名から想像して作ったお話をおとどけします。





新潟県柏崎市西山町灰爪(はいづめ)、そして礼拝(らいはい)も、(1/25,000地形図長岡8号の1「西山」)
 

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新潟県 棒切れの中の観音様

(ぼっきれのなかの かんのんさま)




 そのむかし、冬には日本海のあらなみが、「これでもか」と、いうくらいにうちよせる海べの村に、周作(しゅうさく)という、からだのよわい若者がおったと。
 魚をとって生活するものが多いこの村ではの、周作のような漁(りょう)に出られないものは、一人前の男としてみとめられなかったんじゃ。
 しかし、そうした村人の目とはかんけいなく、周作は、まいにちをゆったりとくらしていたと。
 でも、としおいたとっちゃとかっちゃは、ねがっていた。
 「なんとか、早く元気になって漁に出られる一人前の男になってほしいものだ」とな。
 そんなことだから、周作のふだんのようすは、人の目からはゆったりとは見えていても、心の中では、なんとかとっちゃとかっちゃのきたいにこたえようとしていたんだと。
 まいにちする浜(はま)べでのさんぽもな、からだをきたえるためにしていたんじゃ。

 そんなある日のこと。周作は、浜べの砂(すな)の中から、小さなぼっきれ(:はしきれのこと)をひろった。手にとって見ると、周作にはやさしーい女子(おなご)のすがたが見えたんだと。
 「ほー、かわいい女子がいるようだ」
 しかしな、とちゃとかっちゃにみせても、まわりのだーれに見せても、女子に見えるというものはなかった。みんなの目には、ただの、ぼっきれだったと。
 それでも周作には、そのぼっきれの中に、あるときは、えみをうかべた女子が、またあるときには、さびしそうなかんのんさまが、いるようにも見えたんだと。
 それからというもの周作は、このやわらかなかんじのするぼっきれを、はだみはなさずもち歩いたんじゃ。
 ねむるときも、浜(はま)べをさんぽするときも。
 そうすることで、心があたたかくなるような気がしたし、なにかしら、やさしいことばが、しぜんに口から出てくるようにも思えたんじゃな。

 そんな人たちがすむ、しずかな村にも、ときおり強い北風がふくようになったある日のことだった。
 漁に出た村のわかものたちの舟(ふね)が、夕方おそくになっても、いつものみなとにもどらなかったと。
 「おーい、おーい」
 「あんちゃー」
 「あんちゃー」
 村のしゅうは、あれる海にむかってさけんだそうな。
 周作も、むねのぼっきれをおさえていのった。
 「ぶじでかえってくるように」と、いのった。
 そして、港(みなと)からはすこしはなれた、いつもの浜べにむかったときじゃった。
 夕日が落ちて、はい色の空と海がせまっているはまべの水ぎわに、点々と黒い大きなものがあるのを見つけたと。
 黒く見えたのは、舟からなげだされた村のわかい漁師(りょうし)たちだった。
 ふだんは弱々しい周作だったが、たおれている五人の男たちをみつけると、むちゅうで浜(はま)の小さな高まりまでひきずり上げた。
 さいごの一人までひき上げたときには、それより少し先まではこぶ力はもちろん、村まで歩いてしらせる力さえも、周作にはのこっていなかった。
 太いうでと足をもつ男たちの中に、くずれるようにすわった周作は、何かにすがりたいきもちで、あのぼっきれをにぎって、むねからとり出したんじゃ。
 すると、ぼっきれからは、ほんのりとあたたかさが感じられての。安心した周作は、しだいに気が遠くなっていくようだった。ぬれた周作の手が、ぼっきれからはなれた。

 そのときじゃった。
 ぼっきれは、ほのかな小さな光をはなちながら、しだいに、きいろのかたまりになって、かがやきはじめた。
 光りは、小さなほのおになり、そしてもえはじめたんじゃ。
 周作のからだはしぜんにうごき、むちゅうになって、まわりにある、かれ木をあつめては、ほのおにかさねていた。
 あたたかなほのおが、見る見るうちにまわりをとりかこむと、男たちの中からうめき声がきこえてきた。
 まもなく、男たちは気がついた。
 元気をとりもどした、わかものたちは口々に、しゃべったと。
 「ありがとう、周作」
 「ほんとうに、ありがとう」と。
 われにかえった周作はな、みんなのことばをきくのもおしむように、まだあたたかさがのこる火の中に手を入れて、なにかをさがしはじめた。

 「かんのんさま!」
 だが、ぼっきれはなかった。
 ただ、うす黒い灰(はい)があるだけだった。
 周作は、まん中のいちだんと黒い灰を、ひとにぎりあつめると手ぬぐいにつつみ、ふところにおさめ、ぺこりとおじぎをして、そのばから立ちあがった。

 それからというもの、周作のむねには、小さなふくろに入れられたあの灰が、いつもだかれるようになったと。そして、これまでとおなじよーうに、ゆったりとくらしていたそうな。
 なん年がたっただろうか。
 ひとなみに元気になることもなく、嫁子(よめご)をもらうこともなかった周作は、はやりやまいにかかり、さびしくしんだんだと。
 もちろん、あの灰(はい)ぶくろを、かかえたままな。
 あの、あらしの夜のできごとへのかんしゃのきもちをこめて、おおくの村人(むらびと)が、一人前の男のそうしきにあつまったんじゃな。
 その時、村のひとたちが見た、よこになっている、やせほそった体の周作のそのまた細い手のつめさきは、灰がつまったようにくろぐろとしていたんだと。

 そしていま、周作のおはかのあったあたりにはな、心やすらかな村人が、しあわせにくらしておると。
 周作のことが、いまにつたえられているからだろうかの、ちかくには、「灰爪(はいづめ)」とよばれるところがあるそうな。(08.11更新)


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