地図にかかれた地名から想像して作ったお話をおとどけします。
宮城県石巻市五十五人(ごじゅうごにん) 1/25,000地形図石巻10号−3「石巻」
むかしむかし、みちのく(いまの東北)のとある村に、与作(よさく)という、ちょっと、気の弱いわかものが、すんでおったそうな。
与作はな、十五歳になると、ひとはたあげようと、江戸(えど)へ出ることにしたんだと。村をはなれるときには、おさななじみやきんじょのもんが、たくさん村はずれまで見送りにきてくれたんじゃ。
そこで、与作は、
「きっと、大きな店を持つほどに、せいこうしてみせるだ」
と、見送りのみんなにやくそくして、いさんででかけたそうな。
江戸へ出た与作はな、まじめにはたらいたんだと。
十年ほどたっただろうか。与作は、ある年の正月に、おとうやおっかあへのみやげをたくさんかかえて、ふるさとに帰ってきたと。
「ほー、与作ではないか」
「元気であったか」
「江戸は、どうかなー」
「たのしいか」
村のみんなは、与作の話す江戸のようすをねっしんに聞いたんだと。
「ところで与作、今は、どんな仕事をしているだか」
と、ともたちが聞くとな。与作は、こういったんだと。
「今はな、材木問屋(ざいもくとんや)の番頭(ばんとう)をしているんだ」
「ふーん。たいした出世(しゅっせ)だ」
「出世だ!」
村人は、かんしんしたんだと。
それから、十年ほどたったじゃろうか。
与作はな、おとうやおっかあ、そして村のともだちへのおみやげと、江戸の話をたくさん持って、雪がつもったふるさとに帰ってきたそうな。
「江戸は、どうかなー」
「江戸は楽しそうだなー」
「ええなー、おらも、えどではたらきたいのー」
やっぱりこの時も、村のみんなは、与作の話す江戸の話をねっしんに聞いたんだと。
そして、また誰かが、
「ところで、与作は今、どんな仕事をしているだか」
と、聞いたんだと。
そうすると、与作はこういったんだと。
「今はな、五人ほどの手つだいのものがいる、小さな材木問屋を始めただ」
「ふーん。たいした出世(しゅっせ)だ」
「出世だ!」
村人は、まえよりもいっそう、かんしんしたんだと。
それから、十年ほどたったじゃろうか。
この時も与作はな、すっかり年をとったおとうやおっかあ、そして村のみんなへのおみやげと、江戸の話をたくさん持って、ふるさとにもどってきたそうな。
「江戸は、どうかなー」
「ええなー、おらも、えどへでてはたらいてらよかったのー」
そしてこの時も、村のみんなは、与作の話す江戸の話を、楽しく聞いたんだと。
また誰かが聞いた。
「ところで与作、店の方は、どうかな…」と。
与作はこういったんだと。
「おらはな、今では五十五人ほどの手つだいのものがいるの、材木問屋の“あるじ”になってな。おらも、いろいろ大へんなんだ」
「それは、大へんだ」
「大へんだ!」
「でも、大出世だの!」
と、村人は、だれもがかんしんしたんだと。
それから、さらに十年ほどした春だった。
与作はな、すっかりあたまの毛も白くなって、“ごいんきょさん”のようすになっていた。このときも、江戸の話と風呂敷(ふろしき)つつみをかかえて、ふるさとに帰ってきたそうな。
ところが、この時の与作はちょっとつかれているようすだった。
つつみを広げることもなく、村のみんなに江戸の話をして、その日の夕方になると、少し横になりたいといってな、そのまんま、静かにあの世へ行ってしまったんだと。
「五十五人ものてつだいのものがいる、江戸の材木問屋の、ごいんきょさんがなくなったんじゃ、せいだいにそうしきをせばな」
といって、おさななじみや、近所のもの、いや村中の人が集まって、りっぱななおそうしきをしてあげたそうな。
そして、村の中ほどにあるお寺の、もうなくなっていた与作のおとうやおっかあの墓(はか)にならべて、りっぱな墓石もたててあげたそうな。
村のお寺にひっそりとたっているお墓は、今では「五十五人塚(つか)」とよんでいてな。ひとはたあげたいと江戸(東京)へ向かうものは、みんなここでおねがいして行くんだと。
そして、この村のことを五十五人とよぶんだとさ。
ところがじゃ、与作の江戸でのほんとうは、こんなことじゃった。
村には、毎年のように江戸からやってくる、小間物(こまもの)をあつかう商人がたずねてきていた。村人はその人からも、江戸のようすを聞いていたんだな。もちろん、与作の店のことも聞いていた。
与作は、小ぞうのころから、あたまの毛が白くなるまで、江戸のたいして大きくもない材木問屋(ざいもくとんや)にずーとつとめていてな、ずいぶんくろうをしたけれど、さいごには、それはりっぱな番頭(ばんとう)さんになったんだと。
村人はだれもが、与作がくろうしていることも、やっとこさ番頭さんになったことも知っていたんだが、だーれもそのことをいうものはいなかったんだと。
そうそう、さいごにもちかえった、風呂敷つつみには、何が入っていたかって?
初めて江戸に出るときにみにつけていた、きものや、はきものが入っていたそうな。
風呂敷(ふろしき)を開けた村人は、
「これをながめては、材木問屋(ざいもくとんや)でのつとめを、しんぼうしたんだろうな」といって、なみだをながしたと。