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あすか けいた

第4話 吉田初三郎ゆかりの桃太郎神社
   
あすかさん! 鳥瞰図って、知っていますか? 
「bird eye's view」ですね! 知っていますよ。 
そうですね。文字どおり、空を飛ぶ鳥の目からみたように描いた地図です。
    でもね、ほんとうに鳥の目から見たらこのように見えるとは限りませんよ。  
どうしてですか?
鳥の目は、人間のように複雑な色識別できるとは限りませんからね。
それにしても、鳥瞰図の広がりはすごいですよね。
    東京を中心にして九州や北海道、外国まで描かれているものもありますね。
    あんなに見えるはずもありませんよね。
そうですね。想像力を豊かにしなければ描けませんね。
    さて、今日はその鳥瞰図作家で有名な、吉田初三郎のお話です。
    初三郎を有名にした話として、昭和天皇が皇太子のときに、
    京阪電車内に掲げられていた「京阪電車御案内(地図)」にすっかりほれ込み、
    「きれいでわかりやすいので、東京の級友に持ち帰りたい」と、お話になったということがあります。
昭和天皇が、初三郎の評価に一役買ったのですね。
結果として、そうなりますね。
    その後、全国各地から仕事が舞い込むと同時に、皇室との係わりもできたようですよ。
    天皇の即位式との係わりで「京都全市鳥瞰図」を、
    皇太子の四国御巡遊に随行して鳥瞰図を作製したようです。
へー宮内庁御用達絵師ということですか。   
でもないでしょうが、大変な活躍だったようです。
    その初三郎がね、岐阜県の日本ライン(木曽川)近く桃太郎神社を作った。
鳥瞰図師が、どうして桃太郎神社を?  
初三郎は、大正12年の関東大震災で東京の自宅を焼け出されました。
    その後、ある人の紹介を受けて日本ライン近くに引っ越したそうです。
    その、住まいの近くに「鬼が島」や「猿洞」「雉が棚」といった地名が存在していたことなどから
    「ここが、桃太郎伝説発祥の地である」と確信し、
    日本中にそれを宣伝してまわったといいます。
    さらに、昭和4年に「桃太郎会」を作り、
    翌同5年には神社を建て、地元と協力して「日本一の桃太郎祭り」も開催したそうです。
なにが、そんなに桃太郎に熱中させたのですかね?
じつは、日本ライン近くへ引っ越したのは、
    のちに名古屋鉄道社長になる方の好意を受けたものでした。
    そのことに応える意味のイベント開催であったのかもしれませんね。
    それ以前に、全国各地をめぐり鳥瞰図製作に力を注いでいるうちに、
    ごく自然に観光イベントの実施などにも関心を持つようになっていたようですね。
へー、少し分かった気がします。
   それにしても、どうして桃太郎神社なの?
 
そのころの時代背景から考えると、
    戦意高揚などのこともあって、皆が桃太郎という強い味方に憧れていたのでしょうね。
    桃太郎神社は、今も愛知県犬山市栗栖字古屋敷にあります。
ところで、桃太郎伝説って、岐阜県でしたっけ?
桃太郎伝説は、岡山市や高松市のもあり、
    桃太郎神社は、香川県高松市鬼無町にもあります。
そうですよね。
    岡山県と桃太郎が、一番しっくりするような気がしますが、それは美味しい「桃」のせいかしら。

「鳥瞰図」

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