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あすか けいた

第2話 豊臣秀吉ゆかりの“ものさし”

先日、図書館でおもしろいものを見つけました。
    明治時代の新聞の縮刷版にあったのですが、
    西郷隆盛が西南戦争末期に立てこもった洞窟には、
    物らしきものは何一つ残されていなかったのですが、
    世界地図だけが1枚残されていたそうです。    
隆盛は、官軍との苦しい戦いのさ中、
    世界地図を肌身離さず持ち歩いて、何を読もうとしていたのでしょうね。    
    信長は宣教師から献上された地球儀や地図を愛用していたというし、
    秀吉は、「三国地図扇面」という扇面に中国や朝鮮が描かれたものを愛用していた。
    器の大きい人は違うなー!、
小さい器の今の権力者の部屋には、壁に地図を貼っているかしら?    
期待できないね。
    ところで、あすかさんに負けないようにと、
    九州出張の際に、秀吉ゆかりの”ものさし”を見てきました。
    受け売りですが、博多駅から博多港まで伸びる「大博通り」とその周辺の町並みは、
    秀吉の命による町割(太閤町割)の成果だそうです。
秀吉は、検地だけでなくて、都市計画もしたのですね。
そうらしいですね。
    このときすでに将来の朝鮮出兵を頭に描いていて、
    博多の歴史や地理的特徴を調べ上げ、
    その結果から、港から大宰府政庁に通じる南北の道を広くした。    
それで、”ものさし”は?     
町割に協力したのが、豪商神屋宗湛でした。
    彼もまた、これまでの町並みや井戸を探し、
    自ら測量するなど太閤の町割に協力した。
    その宗湛が使用した、「博多津町割」文字のある長さ二メートルほどの間杖ですが、
    残念ながら、これは焼失。
    その“ものさし”の複製が、櫛田神社・博多歴史館にありました。     
“ものさし”は複製で、
    間接的に秀吉とつながる。
    そして、お土産はないわけですね。    
何がいいたいのですか?
    この次はきっと、本物を!

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